家に帰ると天然記念物がいた。
そいつは仔犬で秋田犬という犬種らしい。
それまで秋田犬なんて見たこともないし、知っていることなんて忠犬ハチ公のエピソードくらいのものだ。
渋谷からわが家へ、200km以上の距離を瞬間移動してそいつは現れた。
ようこそ、はじめまして。
僕の履いている靴下というものに大層興味を抱いたらしい。
甘噛みというには幾分か強く、足にまとわりついてくる「ハチ公」を振り払い両親の待つ居間へ。
仕事の疲れなんて吹き飛んでいた。
ただ自分の置かれた状況を知りたくてしょうがなかった。
僕の混乱に反して両親はふやけた顔でふざけたことを言う。
「一目ぼれしちゃって」
その笑顔は初孫を抱きしめた好好爺に等しい。
朝、ちゃんと閉まっていないジャム瓶の蓋を注意していた几帳面な父の姿はどこへやら。
母もそうだ。
いつもなら酒で頬を染め、誰とも知れない政治系youtuberの動画を見ながら日本の片隅で世界を憂いている時間のはずが、おかめ納豆のような福福しい顔をしているではないか。
何よりふたりとも帰ってきてから僕のほうを一度も見ていない。
目線の先では、僕の身代わりになった靴下。
やつの両前足でしっかり抑え込まれ、食らいついた顎先を天へ、その上下運動が何度も繰り返されている。
じりじりとしたサバンナの太陽の下、ライオンが獲物を捕らえ捕食するビジョンが浮かぶ。
…たしか秋田犬ってすごく大きくなるんじゃなかったっけ。
背筋を寒くしつつも状況は理解できた。
つまりは「拾ってきちゃった」というやつだ。
正確にはペットショップで買いとってきたが正しかったけれど似たようなもんだ。
ただ厄介なのは拾ってきたのが親のほうということ。
実家暮らしの身の上でわが家の全権は自分にはなく、何なら今日だけで家庭内ヒエラルキーを新参者のこいつに抜かされている気さえする。
いざとなれば冷酷なナチの司令官よろしく切り捨てられるのは自分なのだ。
僕には粛々と運命を受け入れるほかはなし。
それに両親は両親でそれなりの覚悟と考えを持ってのことであるようだった。
追い詰められし者の愛想笑いを浮かべ、今後の親愛の徴にともう一足の蒼いバラを差し出すとやつは喜んで飛びついてきた。
この小さな野獣と果たしてうまくやっていけるだろうか。
散歩の回数は?1日何食?
どのくらい大きくなっちゃうの?
なにもかも不意打ちで全く予想が立たない。
ただひとつ、明日の予定がさっきまでの「寝て過ごすだけの休日」にはならなそうということは十分に理解できていた。
4月13日、桜が散り始め、春というには少し暖かすぎる風が吹いた夜の出来事。
数日後、この仔犬に「はる」と名前をつけた。
To be continued…
Youtubeもやってます⇒秋田犬はるノ嬢@すぷりんぐちゃんねる(https://www.youtube.com/@user-zo6pt5rc2w)
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