もぐら、仕事帰りに秋田犬と邂逅す①

4つ足の同居人

なんとなく、いつの間にか

おっさんになる前にすべてに熱がなくなっていた。

心の置き場所を変えたからだと思う。

内側から外側へ。

たぶん最初は、胸のあたり、
小さな手で奥にしまって大切に守ってきたはずなのに。

幼少期から学生時代、社会に出て働くようになり、気づけばぎりぎり手の届く距離。

知恵をつけ丈夫な身体を持ち、ひとりで生きていけるほど成長を遂げたボクは、スマホだけを肌身離さず持ち歩くそんな大人になっていた。

心と距離を離したのは、傷ついて痛みを伴うようになったからだ。

守ろうとしたけど守り切れなくて、逃げる元気もなくて

いたくていたくて我慢できなくなって、ひとまず外に出してみたら、すっと体が楽になった。

強くなった気さえした。
大人になるってこういうこと?
これでいいじゃん!!

よくねーんだよ。

心が訴えていたのは「痛み」じゃなくて、悲しみや辛さだった。
そして時には喜びや怒りだった。

そういうあたり前のことを、幼少期の「ボク」はちゃんと理解していた。

泣いて怒って、恥も外聞も関係ねーって、鼻水を垂らしながらずっと守ってくれていたんだから。

その日の晩御飯は、ソースにこだわったデミグラスハンバーグ。

でもあれ?口に入れると思わずにやけてしまうようなあの経験を久しくしていない。

ふんだんに使われたお肉と練りこまれたニンジンや玉ねぎは明日への活力、タンパク質やらビタミンやらを与えてくれる。

でもそこには、パワーがない。

まさになかやまきんに君が叫ぶやつ、「パワー!」を僕は得ていない。

食事から摂取した栄養を心臓が身体に巡らすように、舌で味を、目で色を、耳で音を取り込んで心は「パワー!」を生みだしていた。

「パワー!」が足りない。
圧倒的に足りてない。

時を経て、おろかな大人の僕は衰弱し、もはや心肺停止寸前であった。

好きだった映画や本で「ボク」の蘇生を試みる。

それらはたしかに面白く、一時心に刺激を与えるけれど、この胸をどうしても打ち抜くことができない。

打ち抜く場所に心を置いてないのだから当然だった。

そのことに気づいたのはだいぶ後になってから。

これまでのかみ合わなかった感覚にすとんとくる答え。
でもその状態が自然になりすぎて、戻し方なんて忘れてしまった。

気づいたタイミングも少し悪かった。

20代前半、身を粉にして働いた甲斐あってある程度の貯金があり、異動で部署が変わりすこし時間にも余裕ができた。

身の回りだけじゃない。

ガラケーからスマートフォンへ、家でも映画が見放題。
今ではAIで絵も描けるとか?

なんじゃそりゃ!

僕が何もしなくても世の中はどんどん便利になっていく。

効率的に日常から不満は奪い去られ、残ったものは違和感。
しかも違和感を抱いたまま生活が安定してしまった。

ごまかそうとするように社会はこのままでいいんだと語りかけてくる。

大しておいしくもない飴玉を口の中で転がし続けるような日々。

打ち抜かれてしまった、、

内に問題を抱えながらも、外からはなだめすかされ

その日も僕はやっぱり心肺停止寸前であった。

夜の8時過ぎ、疲れた体を引きずって仕事終わりの帰路に着く。

明日は休みだけれど、寝ているだけで一日は終わることだろう。

玄関を開けると両親の見ているバラエティ番組の音声がかすかに響き、遅れて聞こえる「おかえり」の声が薄暗い廊下に溶けて消えた。

目を閉じ、耳をふさいだってわかるいつもどおりの色と音

でもそのいつもどおりに、見過ごせない違和感がねじ込まれる。

朝にはなかった白い柵が設けられている。

むき出しだった廊下には黒のマットが敷き詰められている。

水を張られた土鍋が地面に鎮座し、ボロボロに解体された段ボールの破片が散らばっている。

…なんじゃこりゃ。

原因を探し求め視線は足元に、自然と一番の違和感と目線を合わせた。

ズッキュン!!

打ち抜かれた!胸を!
これは、致命傷だ!!

半ば呆然としつつ 「ボク」の口から遅ればせながらの「ただいま」が聞こえた気がした。

                                 To be continued…

Youtubeもやってます⇒秋田犬はるノ嬢@すぷりんぐちゃんねるhttps://www.youtube.com/@user-zo6pt5rc2w

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